ブロックチェーン上にソーシャルメディアプラットフォームを構築することが理にかなっている理由や、それがもたらすメリットがどのように新興のソーシャルメディアプロトコルが既存企業に取って代わることにつながっていくのかを論じ 、広く引用されている議論がいくつかあります。
この記事では、ソーシャルメディアをブロックチェーン上に移行することの利点にもかかわらず、直接的には実現しそうもないことを挙げていきます。その後で、ブロックチェーンを利用したソーシャルアプリの代替案について検討します。
ソーシャルメディアを担う企業がレントシーカーであるという問題
Facebook、Google、Twitter、Reddit、Snapchatは、自分たちのプラットフォームを一方的に支配しています。これらの企業はユーザーの注目を集め、広告を販売することで数十億ドルもの収益を上げています。これらの企業は、通常コンテンツ制作者と広告販売による利益を共有しません。YouTubeとTwitchは利益の一部を共有していますが、共有する利益は一定基準を超えた場合に限られ、さらにその利益の25~45%を徴収します。
ブロックチェーンを利用したソーシャルメディアでよく見られる主張に、コンテンツ制作者は、コンテンツをブロックチェーン上に置いて、分散型広告取引所、チップ、Steemitのような投票報酬システムなどを利用してコンテンツで直接収益を得て、利益を吸い上げる仲介者を回避することができるというものがあります。
しかし、スタートアップ企業やスタートアップブロックチェーンネットワークは、強力なネットワーク効果によって守られている既存企業に正面から対抗すべきではありません。これは今まで繰り返し行われてきました。例えば、GoogleはGoogle+に何億ドルも費やしてFacebookを追いかけましたが、その成果はほとんどありませんでした。Facebookは、MessengerをWhatsappの競合相手にしようと努力し ましたが、結局Whatsappを190億ドルで買収しました。Microsoftは、iOSやAndroidとWindows Phoneを正面から戦わせましたが、無駄に終わりました。
公正を期すために、逆の例も挙げておきましょう。おそらく最近の最も成功した例はTelegramです。Telegramは、後発だったにもかかわらず、WhatsappやFacebookとの競争にも耐えて、メッセージ分野の大企業に成長しました。しかしこのような成功は例外中の例外です。
ブロックチェーンベースのネットワークが既存のソーシャルネットに取って代わるところを見たいとは思いますが、ブロックチェーンの経済的インセンティブを動力にするにしても、彼らと正面から競い合うのは無理があります。ほとんどの消費者は、金銭的な補償を受けることなくこれらのソーシャルネットワークに満足して参加しています。Facebookは、米国でユーザー1人あたり年間100ドルの収益を上げています(世界の他の地域での収益はこれよりもはるかに低い)。子供、友人、ペットの写真を投稿すれば月8~9ドルの報酬が得られると訴えて、サービスへの参加を促すことが正しいこととは思えません。
では、ブロックチェーンベースのソーシャルアプリにはどのような可能性があるのでしょうか。3つの大きな可能性について以下に概説します。
希少資産を中心にコミュニティを構築する
非常に大まかに答えるなら、ブロックチェーン上に構築するソーシャルアプリには、ブロックチェーンだからこそ実現できる新しいソーシャルネットワークの分野を見つけ出す必要があるという ことです。より具体的には、希少性の高いアイテムを活用してエンゲージメントを高めるというアプローチに、ブロックチェーンベースのソーシャルアプリ構築のチャンスがあると見ています。Decentralandがその最初の例で、Cryptokittiesは最近このアイデア広めています。
ブロックチェーンの能力を活用している主流のアプリとしてすぐに思い浮かぶのは、ポケモンGoとマインクラフトです。
馬鹿げた形をしたデジタルオブジェクトが表すユニークな暗号データのブロブを大量に所有したいと人々が考えることは、少しおかしいことに思えるかもしれません。しかし、実際はそうではありません。美術品、希少な車、ユニークな不動産など、人々が希少なものを好むことを私たちは知っています。いずれ画面上のピクセルの任意のセットを表す暗号データのブロブは、キャンバス上のArbitrary Brush Strokesと同じように評価されるようになります。
デジタル商品には既に大きな経済があります。人々は、証明できるほどの希少性のないゲーム内のデジタル製品に年間500億ドルを費やしています。これらのゲームは、活発で魅力的なコミュニティが支えています。
開発者は、暗号化されたデジタル資産に関連するアプリを何千と構築します。ダイナミックで魅力的な コミュニティと商取引が、それぞれのコミュニティで有機的に展開されることでしょう。その中には、リアリティ番組やクイズ番組など、現実世界の現象に関連したものや、ハリーポッターのような架空の世界をベースにしたものも出てくるはずです。
このようなニッチを活用して、広範な自己表現においてニッチな関心事を共有することなく、Facebook、Reddit、Twitterなどの既存企業と直接競うことが賢明なことかどうかはわかりません。賢明ではないかもしれません。
このアプローチが持つ可能性の1つは、拡張現実の技術を利用して、暗号化された希少なデジタル資産を写真やビデオに重ねることです。実際にSnapchatは、消費者がフィルターを使ってこの種の行動を好んで取ることを明らかにしています。これにより、デジタル世界と現実世界を融合させ、仲のいい人との写真や動画を家族や友人と共有することができるようになります。
最後に、拡張現実メガネが主流になれば、証明できるほどの希少価値のあるデジタル資産が、ユニークな自己表現とアイデンティティという形で利用できる機会は計り知れないものになると考えられます。
サイロを取り払い、共同開発のための新しいモデルを構築する
ブロックチェーンが登場する前は、上記で述べたような多くのことが実現可能でしたが、ブロックチェーンが本来提供する証明可能な希少性や自己主権的な資産所有はありませんでした。実際、そのようなサイロはゲームなどですでに多く存在しています。
ブロックチェーンベースのソーシャルメディアアプリは、ブロックチェーンだからこそ実現可能なもう一つの道、つまりアプリケーションを横断する共有のパブリックデータベースでイノベーションを起こすことができます。多くの開発者が単一のオープンデータベースに接続できるようになることで、自己表現のための全く新しいモデルを実現できるはずです。これは完全に未踏の領域であり、その機会は非常に投機的です。とにかく一度検討してみましょう以下について検討します。
まずはオープンな画像データベースから始めましょう。ユーザーはフィルター付きの写真をアップロードして、友達と共有することができます。その後で友人は、アプリ開発者が提供する他のフィルターを友人の写真に適用し、写真を共有することができます。また、フォトストリームにゲームを重ねることもできます。例えば、友達と一緒に、3時間以内に木に逆さまにぶら下がって写真を撮る、という課題に挑戦することもできます。その写真を投稿した後で、Draw Somethingのようなゲームを重ねて、写真にてんとう虫を描くこともできます。
このような例は、馬鹿げた子供じみたアイデアかもしれませんが、Snapchatのフィルターの使い方を知っていれば、あり得ることだと分かるはずです。より多くの開発者、利用者、コンテンツを組み合わせることで、ブロックチェーンベースのソーシャルメディアプロトコルは、人々が自分自身を表現するために用いる様々な新しい方法を解き放つことができます。
この概念が論理的な結論に達することができれば、最終的には、記事、写真、ビデオ、チェックイン、イベントへの出欠確認など、ユーザーコンテンツの大規模でオープンな単一ストリームが実現します。
オープンデータセットを使用すれば、開発者は何千ものアプリを構築し、それぞれを互いのアプリの上に構築することができます。ユーザーは、自分の好きなアプリを使ってストリームを「ピアリング」することができ、基礎となるデータを好きなように操作できるようになります。これにより、間違いなく新しいタイプのUXの問題が生まれますが、やがて標準やベストプラクティスが出現するにつれて解決されるはずです。
共有されたオープンなデータベースは、開発者間の共同開発の機会を提供します。もちろん、各開発者は自分のアプリをユーザーに使ってもらおうとするでしょう。しかし、基礎となるデータがオープンであるため、開発者は互いの機能やユーザーの行動を基にアプリを構築しながら、競い合えるようになります。開発者が競い合って、これまで不可能だった方法でユーザーの自己表現を支援することで、様々な種類の新しい動きが生まれる可能性が出てきます。
ソーシャルメディアの既存企業に直接対抗する方法があるとすれば、この方法がその1つである可能性は高いと考えます。一枚岩を砕く最良の方法の一つは、何千もの独立したアクターがあらゆる角度から攻撃することです。そうすることで、一枚岩は何が起きているのか、どう対応すればいいのかわからなくなるはずです。
はっきり言って、この提案は、最も難しい問題、つまり、オープンネットワークをコールドスタートからキックさせるための正しい行動様式は何なのか、という問題に対処するものではありません。
